『 こう 』は冗長系なん?

以前、某所で書いていたブログを停止してこちらに引継ぎ。

“願掛け”と“願解き” 

喪中につき、初詣はもちろん寺社に近づく事に消極的になっています。
(いちおう気にするんですよ・・・/汗)
せめて四十九日が終わってからと思っているので、
周りで「初詣に行った」とか「おみくじが~」とか、
そういう話を聞くと、ちょっと羨ましく、またちょっと切なくなってます。



初詣に限らず、お参りをすれば神さんにお願いをすると思います・・・
いわゆる“願掛け”です。
自身も行った折には、何かしらのお願いをする事が多いです。
そして、そのお願いが叶えば、もちろんお礼に行くと思います。
また叶わないまでも、その報告に行ったりする事もあるかと思います。
“お礼参り”という言葉が合うと思うけど、“報祭(ほうさい)”とも言うそうです。
お願いをしたのだから、良くても悪くても出た結果はお伝えする・・・
そういう事なんだと思います。

では、お願いしたけど、それが合わなくなったとか不要になったら・・・
そんな時は“願解き”をするそうです。
例えば、知人にお願いをしてそのまま放っておくという事はないと思います・・・きっと。
それと同じで、神さんにお願いをしたまま放っておくというのは、
やっぱり失礼なんじゃないかと・・・
ちゃんとお伝えして、いわゆる「けじめ」を付けるという意味なのかな。

今まで“願解き”を意識する事は無かったんですが、
昨年、いろいろと状況が変わってしまい、
今まで“願掛け”していた事の“願解き”をしなくちゃいけない・・・
そう思う所が出てきました。
ただ・・・それが年に1回とか、2・3年に1回しか行かない様な所とか、
しかも遠方にあったりして(汗
「そこまで考えなくてもいいんじゃない?」と言ってくれる人も居るんですけど、
何かね、お願いした事はちゃんと結果をお伝えしないと、
気に入って行ってる所なので、やっぱり気になってしまって、
気もちが良くないというか・・・。

ちなみに、ちゃんと“願掛け”してるのは、意識して行ってる所だけ。
逆に散歩をしていて通りすがりに立ち寄ったとか、
1回きりになりそうな所とか・・・要するに目的を持って行った所で無ければ、
「そこに来られた事に感謝」をして「また機会があれば」と言うだけなので、
それに対しての“願解き”は必要ないと思うけど。

年始には必ず行っていた所もあるので、
今年はちょっとだけ時期をずらして行く事になってしまうけど、
ちゃんと、お参りをしてこないと。
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( 2013/01/03 17:56 ) Category 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)
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